【 ヒマラヤン(猫) 】

ヒマラヤンの優雅で気品の有る所が好きです。
 
  millefeuille-himalay
  ヒマラヤン(Himalayan):原産国 イギリス、アメリカ
  シャムとペルシャの交配から発生し、最初はほっそりとした猫でした。
  その後研究が重ねられて現在の体型が確立しました。
  おっとりと温和な性格はペルシャにそっくりです。
  毛の手入れをこまめにするように心掛けてください。

  22(ニャンニャン)ヒマラヤン
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【世界の猫の歴史】

 今から、およそ5000年前、古代エジプトでは文明の発展とともに農業を始め森を切り開いていった為、次第にそこに暮らしていたヤマネコのテリトリーを侵していきました。
 やがて古代エジプト人達は、ネズミを食料とするヤマネコを見て、ネズミを退治してくれ餌を与える必要もないので家畜としてヤマネコを飼い始めたのです。
 その後、猫は神聖な生き物であるとしてとも大切に扱われてた為、法律によって厳しく守られて、国外に連れ出すことも禁じられていました。
 エジプト人が、国外へ行き来または、移動するようになると、大切な猫も一緒に連れて行ったために、紀元前500年頃にはギリシャへ、さらにローマからヨーロッパへと広がりました。
 また、紀元前300年頃にインドへ達し、その後紀元前200年頃には中国にまで広がりました。
 北ヨーロッパでは大きく太ったヨーロッパヤマネコと交わり頑丈で身体が太く頭蓋が広く進化しました。
 一方南に広がった猫達はアビシニアン、シャム、バーミーズのように祖先のリビアネコの柔軟でしなやかな姿が受け継がれました。
 極東では突然変異で赤毛が出現し、逆に徐々に西側へ広がっていきました。
 ロシアの南方でも突然変異で長毛種のペルシャが出現し、南東へ広がり、トルコやイランへ達したと言われています。
 ヨーロッパでも最初はネズミ退治などにとても役立ったため、貴重な生き物として扱われました。
 しかし、15世紀終わりになると、「悪魔の使い」と言われるようになり、数え切れないほどの猫が犠牲となってしまいました。
 多くの猫を殺しすぎたため18世紀になるとドブネズミの大発生にもつながり、ペストが大流行しとても多くの死者が出ました。
 そこで困った人間たちは、たちまち、猫を重宝し、高値で売買するようになりました。
 さらに19世紀に入り、パスツールが多くの病気の原因が細菌であり、不潔さが直接病気と結びつくことを証明してからというもの、これまで平気で触れていた犬や馬を敬遠し、清潔を旨とする猫だけに門戸を開くようになりました。
 こうして猫はネズミの退治役ばかりでなく、共に家で暮らし、その美しい姿を愛でる対象としての地位を与えられるようになったということです。

【日本の猫の歴史】

 「リビアヤマネコ」を祖先とする「イエネコ」が、インドより仏教の伝来と共にシルクロードを経て中国に持ち込まれます。
 5世紀頃、中国に持ち込まれたネコは仏教の教えを説く教典がネズミにかじられないようにとの配慮から、一緒に船に乗せられ、そうして日本へやってきます。
 当時のネコは中国から来たので「唐猫」と呼ばれ、その数はごく少数でした。
 平安時代には、書物や絵の中に猫のことが登場し始め、鎌倉時代には、怪猫の記述が残されています。
 1687年、徳川五代将軍綱吉公による「生類憐れみの令」において猫の売買と猫のつなぎ飼いが禁止されます。それまでいかに猫が繋がれて飼われていたかが分ります。
 かくして唐猫から日本猫へと変貌をとげながら定着した猫ですが、明治以降は様々な国の様々な猫が輸入され、繁殖を繰り返し現在のような猫社会が出来てきました。

   

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